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ルーツにまつわる極私的覚書
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府内西郊沖ノ浜に住んでいた。元禄12(1699)年、古記録や古老の話をもとに『豊府聞書』を著す。

経歴はよく分かっていないようだが豊府聞書の奥書(巻末)に「于時元禄十一戊寅祀八月十八冥(めい、夜)。豊府沖濱之住、戸倉貞則謹門書」とあるので沖ノ浜に住んでいたと思われる。また、聞書序文の末尾に「…商賈デアッタガ、閑暇ヲ得レバ、即チ往時ヲ記録シテ、以テ将来ニ傳フ」とあることから、聞書の「御倉所跡」の項に出てくる沖ノ浜戸長「戸倉助右衛門」の子孫で、何か商売をしており、俳諧師などを宿泊させるだけの家、屋敷があったと思われる。ただ、奥書に貞則という名を記しているのが気にかかる。元禄年間、(特に商人の場合)名のみを単独で使用することはあまりなく、通称のみかもしくは名の前に通称をつけて、○○衛門貞則というように用いるのが一般的であった。また聞書跋文(現在でいうあとがきか)は岡藩の儒医関載甫が豊府聞書の完成した元禄11(1698)年から16年後の正徳4(1714)年に記した。このことから、著者戸倉貞則は生没年不詳であるが、少なくとも正徳4年までは生存していたと思われる。

府内藩から俸禄、扶持を受けている人間ではないようなので、「府内藩の戸倉貞則」という表現は間違いで、府内藩領の沖ノ浜に住んでいただけの話である。また豊府聞書の記録は、府内城主日根野吉明の治世までで、大給松平氏の時代については言及がない。大友氏の行く末を最後に〆ていることから、戸倉貞則は大友家と所縁のあった人物であろうか。
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緋夏
大分県大分市在住、♀、AB型
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