忍者ブログ
ルーツにまつわる極私的覚書
<-  19  11  10  1  13  3  12  5  8  ->
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

別名迹部(あとべ)島・沖の浜島。彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)や鵜葺草不合葺尊(うがやふきあえずのみこと)が東上の際に舟出したとも伝えられる。過去、大分県別府湾にあり、江戸時代に一日にして海中に没したと伝えられている伝説の島。室町時代になると豊後一の貿易港として各国からの入船でにぎわった。島の西北に久光島、東に住吉島、松崎島などがあった。

『豊府聞書』や『雉城雑誌』などに書かれた伝説や昔話によると、府内の西北31丁40間(約3.3km)、現在の大分市勢家町の北20余丁(約2.2km)にあり、北の速見郡まで19丁余(約2.1km)あった。東西約36丁(約3.9km)、南北21丁余(約2.3km)、周囲約12km、12ヵ村1000戸、人口5000人ほどの島だったという。島長の館を中心に三条の大通りが東西に走り、南を本町、中央部を東町(裏町)、北を新町と称して、大分から瓜生島・久光島を通って別府へ抜ける交通路がひらけていた。威徳寺・阿含寺・住吉神社・菅神社・蛭子社などの寺社が立ち並び、さらに阿弥陀寺建立のため文禄4年(1595年)、南部の僧都(そうず)行恵が勧進に来た。島津勝久の居館などもあった。

国内資料や国外資料、加えて近年の地質学などの調査研究により、瓜生島が沈んだとされる地震や津波が起こったのは、1596年9月4日(文禄5年(慶長1年)閏7月9日で紛れもない事実だと解っている。震源地は、別府湾南東部でマグニチュード7.0程度の地震が起こったのではないかということだ。潤7月3日〜11日にかけて、微震などは続いたらしい。別府湾の海底には複数の正断層がほぼ東西に走っており、おそらくこの正断層の活動が、直下型の地震を引き起こしたのではないかと考えられている。
地震により起こった津波で別府湾岸には大きな被害があり、各地で崖崩れなどがあったとのことだ。津波の被害を受けた場所の中に、瓜生島だったのではないかといわれる「沖の浜」の地名(村名)が見える。

瓜生島という地名は、1223年初代豊後国司大友能直が編纂したといわれる『うえつふみ』の中に、ウリウハマ、ウルノオハマ、ウリフノトと現れている。それぞれ字を当てると、潤浜、潤のお浜、潤の戸と解釈できる。つまりウリウジマというのは瓜の生える島を表すのではなく、もともと潤島という意味の土地名、ともすれば地形名で、潮が満ちてくれば小さな島となるが、潮が引けば大きな砂浜を広げ砂州で陸地と繋がるような土地だったのではないかとの仮説が立てられる。それならば、沖にある浜を示す「沖の浜」と「瓜生島」のふたつの呼び名は全くの同義となる。東海大学瓜生島調査会はその科学的な調査結果に基づき「大分川河口付近に大部分が砂質土で構成される島が存在し、地震が原因で島のある部分は液状化により全面海域に流失し、他の部分は地滑りなど大規模な陥没を生じ水没した」との仮説を立てている。

【昔話】昔、別府湾に瓜生島という島があった。島には蛭子社で木彫りのエビス様を祀っており、『島民が一人でも仲違いをすれば島中の神仏の怒りに触れ島は海中に沈む。そのあらわれとして蛭子社の神将の顔が真っ赤になる』という言い伝えがあった。だから島の人々は信心深くし、エビス様を丁重に祀って暮らしていた。文禄5年6月下旬、島の南西端の申引村(さからすむら)に住む加藤良斎という医者が「そんな言い伝えなど気にすることはない。俺が試してやろう」と、蛭子社の十二神将の顔を丹粉で真っ赤に塗ってしまう。島の人々が心配していると果たしてその翌月(慶長元年6月)はじめに、続いて16・17日にも日に数回の地震があった。気の早い島民数十名は荏隈(大分市永興)に逃れはじめる。一月経った閏七月にも4・5日と立て続けに地震があり、さらに11・12日と続いて、12日未刻(午後2時頃)には激しく揺れはじめた。高野山・木棉山(由布岳)・御宝山(霊山)などが一度に火を噴き大きな石が空から降ってきた。府内の町でも水難を恐れた人々が高台になっている勢家町に集まり、法蔵寺という禅寺にも人々が避難してきた。申刻(午後4時頃)に一旦おさまったとき白馬に乗った老人が「島が沈むから避難せよ」とふれまわる。住民は舟に乗ったり泳いだりして府内や日出の町へと逃げだした。一刻ほど後に大地震が起こり高波が島を襲った。島長・勝忠も息子の信重と舟で逃げたが海中に投げ出されてしまう。朦朧として波に揉まれていると空から声がして一本の竹が差し出される。それにしがみついたまま気を失い、気がついたときには親子ともども加似倉山の麓に打ち上げられていた。一夜明けて地震はおさまったが、海上には島影ひとつなくなっていたと言う。
PR
PREV  HOME  NEXT
カウンター
ブログ内検索
プロフィール
緋夏
大分県大分市在住、♀、AB型
参考文献

バーコード
Powered by
文献検索
Powered by 忍者ブログ & [PR]